どんどん身近の遊園地が閉園しましたが、スペースワールドもまた、2018年元日を最後に閉園してしまいました。
GoogleEarthの2020年11月時点の画像をみたところ、すでにその時点でほとんど更地化が完了していて、現在はTHE OUTLETSというショッピングモールになって完全に別世界になっています。
夢を残してくれたスペースワールドですので、GoogleEarthを利用して、思い出として振り返れるように記事を残しています。
閉園はスペースワールだけではなく、アミューズメントパークはどんどん姿を消していますが、昭和末期から平成の最初にかけて、遊園地は元気だった日本を感じさせてくれたものですが、その思い出も今は昔になってしまいました。
GoogleMapでみる、2020年11月の更地化工事の状態です。
グーグルアースから
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平成2年(1990)開業し、28年間営業
写真の中央が在りし日のスペースワールドです。2022年にはアウトレットモールとして生まれ変わっています。
H30.1月のグーグルマップ
「枝光駅」が開園でスペースワールド駅に
スペースワールドの最寄り駅は「スペースワールド駅」ですが、この駅は、開園当時はなかったもので、開園当時の最寄り駅は「枝光駅」でした。
このスペースワールド駅の開業は1999年で、駅名については公募で「周辺を再開発するにふさわしい駅名」ということで募集されて「スペースワールド駅」となり、スペースワールドが消えたあとも、当分はこの駅名は存続されるようですが、周りの変わりようから、いつまでも残らない感じもします。
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スペースワールドの成り立ちをグーグルの過去の写真や古い地図で見ます。
開業までは八幡製鉄所の敷地内
1950年(昭和25年)に八幡製鉄所ができたころの地図です。
地図の中央部付近がスペースワールドのあるところ付近ですが、この当時の場所は、製鉄(製鋼)所の建屋になっています。
下は1975年(昭和50年)ごろの写真で、八幡製鉄と富士製鉄が合併して新日鐵株式会社になったころです。
地面全体が赤茶けた「さび色」をしているのが見られます。 これは鉄鋼のサビの色ですが、この後に、日本全体が鉄鋼業を中心として飛躍していきます。(現在の工場は環境対策が行われていて、このような汚染物質は飛散していません)
その後、鉄道線が移設されています
近年のGoogleMapの航空写真(下)で見ると、JRの鉄道線がスペースワールドの北側に移設(1999年)されているのがわかります。
会社は合併で新日鐵住金(平成12年)になって、その後、工場建屋が縮小して再開発されている様子が見えます。
鉄を作るより、土地を有効活用するほうが儲かる時代に変わってきたということなのでしょう。
そうなると、スペースワールドはお荷物になるので、新日鐵住金は2005年(平成17年)に加森観光に営業譲渡されます。
そうしたところ、加森観光さんがかなり頑張って、客数も増やして、これからというところだったのですが、契約解消になり閉園になりました。
2016年の年末が土地契約の更新でしたが、新日鐵側はもっと土地の有効利用で儲けたかったのでしょう。2017年末の閉園です。
アポロ11号が月面に着陸したのは1969年(昭和44年)7月で、アポロ計画が終了したのは、ソユーズとランデブーした18号(1975年7月)が最後でした。
そして、スペースワールドの開園が1990年(平成2年)です。
1970年(昭和45年)の大阪千里の万博で「宇宙関連展示」は好評でした。 そして、昭和年代末期は日本の国力も好調な時期で、「昭和の良き時代」だったのかもしれません。
しかし、開園後は国内景気も低迷しました。
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失われた10年 でも、加森観光さんは頑張った!といえる
日本では1991年からの10年間を「失われた10年」といわれていますが、スペースワールドは、1990年開園ですので、不況の始まりとともに船出したということになります。
バブル崩壊に始まって、日本はデフレの不景気時代に突入していくことになり、スペースワールドの運営にとっては厳しかったことでしょう。
やはり新日鉄のような大会社でも、維持するには「お荷物」だったのかもしれません。
新日鉄から運営を引き継いだ加森観光さんは、好条件で経営譲渡されたこともありますが、それ以上にアトラクションを変えるなどで頑張りました。
だから、頑張ってきた加森観光さんの痛手は大きいと思います。
WEBには、「年内に閉園する福岡県北九州市のテーマパーク、スペースワールドを運営するジャパンパーク&リゾートは(閉園前の)2017年12月に、地球から417光年離れた星の命名権を取得し、「SPACE WORLD」と名付けたことを発表した。」(http://www.itmedia.co.jpの記事)という記事が載っていました。
スペースワールドの閉園は業績不振によるともそうでもないともいわれていますが、それよりも、日本製鐵側の利益判断ということでしょう。
加森観光さんの閉園前のコメントで、「閉園しても、夜空を見上げる度にスペース
いずれは、一つの歴史のなかの思い出の1行になってしまうのは仕方ないでしょう。
閉園前の様子をグーグルマップで見てみましょう
googlemapを加工した写真ですが、閉園時の面影を感じていただけるでしょう。
スペースシャトルの向こう側に歴史的建造物の東田第一高炉跡が見えています。
この高炉は、1901年(明治34年)に八幡製鉄所が官営製鉄所として、日本の産業をけん引する元となった設備ですが、1972年(昭和47年)に停止しています。(史跡公園の見学は無料)
今この高炉跡は残りましたが、多分、スペースワールドの一部は保管移転されるとしても、ほぼ完全に取り壊しされて消えてしまう運命でしょう。
GoogleMap GoogleEarthでの移り変わりの様子
スペースワールドの開園は1990年(平成2年)で、写真は、営業中の2004年2月のGoogleEarthの様子です。
2004年12月
閉園は2017年の年末ですが、閉園前の2017年1月とその後のGoogleEarthの写真です。
解体前2017年1月
解体が進む2019年5月
2020年11月ではほぼ更地に・・・
2022年3月には新しい施設として、スペースワールド部分はイオンモールの「THE OUTLETS ジ・アウトレット」になりました。
最新の画像はGoogleEarthでご覧ください。
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ここでがGoogleさんの画像を利用していますが、このような過去の映像を残してくれるGoogleさんに感謝感謝です。GoogleEarthは大きな歴史資産と言ってもいい内容を含んでいます。今後も、素敵な画像をよろしくおねがいします。
(記事来歴)2018.1記事作成 2022.1GoogleMapの写真追加 R5.9月文章見直し R6.11月確認