四つ橋線に沿って歩いてみるのはどうでしょうか

街の中を歩いてみると、自動車に乗って見る景色とは違う目線になるので、いろんな物が見えてきます。西梅田から住之江公園までを歩きましたので、簡単に紹介します。信号の多さもあって、12kmを約3時間かかりましたが、こんな散歩はどうでしょうか。

四つ橋筋を南に向かいます

大阪メトロ(大阪地下鉄)の四つ橋線の路線に沿って、西梅田駅から住之江公園駅までの地上を歩き、その風景などを写真に撮りました。12km程度の、まちなかの散歩にいい距離です。

今回歩いた四つ橋線 GogleMap利用

大阪中心部を南北に走る主要道路は、谷町筋、松屋町筋、堺筋、御堂筋、四つ橋筋、なにわ筋などがあり、これらが、大阪市内の南北の主要道路です。

市内の南北の主要道路は一方通行で、四ツ橋筋は、難波(なんば)~梅田(うめだ)までが、北行き一方通行で、なんばの南側からは対面通行になっています。

特にこの四つ橋線は、場所によって道路の呼称や構成が複雑でわかりにくく、大阪メトロの西梅田駅の地上から南下すると、道路元標のある「梅田新道」から出た国道25・26号線の両方が御堂筋を進んでおり、それが、難波の南側で、御堂筋が四つ橋筋に合流し、さらに南に進んだ、大国町交差点で、国道25号線は奈良方面に向い、四つ橋線は、大国町交差点からが、国道26号線となります。

そのために、それまでの西梅田から大国町までを「大阪市道南北線」という表記が用いられているようです。

その大阪市南北線と国道26号線の地下を走る大阪メトロは、西成区玉出を過ぎてすぐに、大きく右カーブして、国道26号線から離れて、「南港通」から「なにわ筋」の地下を進んで住之江公園駅まで行きます。そこを歩くのですが、距離は約12kmです。

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大阪メトロの四つ橋線に沿って南下

大阪メトロ(旧名:大阪市営地下鉄)の「四つ橋線」の路線は、西梅田~難波~大国町~玉出~住之江公園までの地下路線で、ほぼ道路に沿った地下に、鉄道(全線が地下鉄道)が走っています。

上のグーグルの地図では、地上の道路を歩く全行程は約12㎞で、所要時間は2時間半とありますが、休憩無しで、これを、ノンストップで歩いたのですが、信号のタイミングもあって、2時間45分かかっています。

朝9時に西梅田駅を出発

桜橋に出て、四つ橋筋の東側を南下します。

うつぼ(靱)公園

整然としたビル街を眺めながら南下します。

中之島を過ぎて、緑を感じる初めての場所が「靱公園」ですが、これは「うつぼこうえん」と読みます。

WEB記事には①「靱」と②「靭」(つくりの部分が違う)の両方が用いられています。正しくは①の方で、①は矢などを入れる筒型の容器のことで、②は靭性(じんせい:金属的には、強靭性、耐衝撃性という意味)とあるように、粘りがあってなめらか・・・という意味のようで、正解は①のはずなのですが、実情では、①も②も使われています。

私は、公園が横に細長いので「海のギャング『うつぼ』」のことかなぁ・・・と思ったのですが、ウィキペディアでは、ぜんぜん違う内容の由来が書いてありました。

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Wikipediaによると、「靱」の由来は、魚商人たちが『やすい、やすい』と威勢のよい掛け声で魚を売っていたのを聞き、『やすとは靱(矢を入れる道具。矢巣とも言った)のことじゃな』と洒落たことからその名が付いた・・・ とあります。

このあたりが海や川だったことをうかがわせる字のようですが、最近は、表示板にもひらがなで書かれるものが増えているので、「うつぼ公園」なら読めますが、「靱」は難読漢字です。 それであっても、ひらがなではなく、正しい漢字表記に統一して、昔のイメージを大切にしたほうがいいように思うのですが、・・・。

靱公園1

「都会のオアシス」という言葉がありますが、この靱公園は、町の中に古くからある公園・・・で、後世に残したい場所です。

靱公園にあるオブジェ

この写真の中の人々はすべて「うまく作られた作品」です。 遠目では子供連れの家族と見間違いそうな「芸術品」ですが、いくつか置いてあります。

公園の東端が四ツ橋筋ですが、公園は横に長く、西側は、なにわ筋を突っ切り、あみだ池筋まで横に伸びている、長くて広い公園です。

立売堀は いたちぼり と読みます

レトロな立売堀ビルディング

少し南に歩くと、本町通りを過ぎてレトロ感のある「立売堀ビルディング」が見えてきます。 これを「いたちぼり」と読むのもやはり難しいですね。

周りと調和しないちいさなレトロビルですが、1Fのオーニングの色合いや感じは非常に「古い良さ」を感じます。

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「四ツ橋」といえば電気科学館の代名詞でした

途中に何回か信号につかまりながら、出発から約40分歩いて、四ツ橋につきました。

子供の頃、大阪人は「四ツ橋」といえば「電気科学館」の代名詞になっていました。

現在は中之島の「市立科学館」に移ってしまいましたが、ここに設置されたプラネタリウムはカールツァイス製で、当時は日本に3台しかなかった・・・とPRされていた、小学生時代の記憶があります。

その当時のプラネタリウムの装置は、今でも中の島にある大阪市立科学館に展示されていて、大人になってから、それをあらためて見ると、思っていたよりも小さかったのですが、私は、この四ツ橋のプラネタリウムへは学校の校外学習で見学にきたことを記憶していますので、社会科見学などの経験は貴重だなぁ・・・と思います。

電気科学館で使われたプラネタリウム装置

当時のプラネタリウムは、学芸員の人が星とともに、「夜」を操作してくれたのが感動的でした。

夕暮れとともに空が暗くなってきて、「もっと暗くなります」・・・という言葉に合わせて、星が見え出す・・・という、子ども心に、なんとも言えない「科学」を感じていました。

電気科学館跡地のブルーウェーブビル

その跡地に建っているビル名は、ブルーウェーブインとなっており、ちゃんと屋上にはドームのような形が見えており、昔を忘れさせない演出が憎らしいですね。丸いドームの中はどうなっているのでしょうか、気になります。

難波(なんば)は寄り道せずに通過

1時間をかけて「湊町(みなとまち)」につきます。

このあたりは、阪神高速道路が複雑に入り乱れていますが、道頓堀川を越えると、FM大阪の奇抜なビルがあるなど、近代感のあるゾーンですが、ここへは立ち寄らずに南下します。

このあたりが「なんば」で、難波と書きますが、このあたりは大地下街ですが、「地上」 は自動車対応のために、歩行者には全くやさしくありません。

地上の道路には横断歩道がなく、「地下ヘ潜れ!」と強制される感じです。 道路を横断できないので、一旦、地下に潜ってから南に進んで、道路(千日前通)を横断します。

地下街は、現在「なんばウォーク」という呼び名になっていますが、初めてできた地下街は「虹のまち」と呼ばれていました。年配の人はこの名前が懐かしいかもしれません。

地下街の西側にはJR難波駅があり、OCAT(オーキャット)という、国際線のチェックインカウンターもあるのですが、地下街が分断されているために、南海電車・近鉄電車の難波駅とは、少ししか離れていないのですが、JRなんば駅の周辺は難波の中心からは、少し見放された感じです。

ともかく、なんば(近鉄難波駅・南海なんば駅)周辺は人が多く、Walkerには歩きにくいところです。それもあって、どこにも寄り道しないで、地上の道路をひたすらに南下していきます。

大国主神社

御堂筋との合流する付近にある、相撲の春場所が開催される「府立体育会館(今は「エディオンアリーナ大阪」)」を左手に見ながら少し行くと、道路西側に大国主神社があります。

もう少し南に「今宮戎(いまみやえびす)神社」があるのですが、恵比須様(大阪では、「えべっさん」といっています)は商売繁盛の神様で、大黒さんは 縁結びの神様のようですから、もちろん、お金に関係あり、3日間で1年分を稼ぐ「恵比須様」のほうが人気があるのは否めません。

少し南下すると「大国町」交差点に出ます。

大国町といえばトミヤマ・・・でした

大国町といえば、子供の頃は靴のデパート「トミヤマ」の代名詞でした。

すでに「靴のトミヤマ」の店舗が無くなって久しいのですが、「ここへ来ると、どんな靴もある」 ・・・ と言われるほどに、いろいろな靴が迷路のような売り場に数多く並んでいた記憶があります。

ラッピングビル

この、靴のトミヤマが入っていたビルは、窓のない、宣伝用のラッピングビルになっています。

大国町交差点の反対側には「MARUTOMI」という服屋さんもありましたが、その店舗も消えてしまっています。

昭和年代には、「安い店がある」という噂がたてば、どこへでもでかけていった記憶があり、ここから、電気の街「日本橋(にっぽんばし)」も近くて、大国町は安くて好きな場所でした。

難波から国道26号線沿いに南下すると、地下鉄の駅では、難波-大国町-花園町-岸里-玉出・・・と続きます。

玉出は「スーパー玉出」のイメージ

国道26号線沿いは、これと行って目を引くものも少ないのですが、「信濃そば粉さんの水車」と「スーパー玉出」の黄色い表示が目立っています。

水車のディスプレイの蕎麦会社 玉出商店街

私は、地下鉄玉出駅から会社に通っていたので、昭和末期~平成年代はこの辺りは詳しいのですが、手前にある、玉出商店街を少し入ったところに、1円セールの安売りで有名な、黄色い看板の「スーパー玉出」があり、本部も、この玉出にあるので、写真のここが1号店だと思うのですが、古くは安売りの「八百屋さん」でした。この地名の「玉出」からとった店名なのでしょう。

地下鉄玉出駅は、昭和49年頃までは、現在の住之江公園まで伸延しておらずに、四つ橋線の終点でした。その頃には、夜中の0時を過ぎても地下鉄が走っていたので、水商売をする人が最終電車で帰ることができる便利な場所であったようで、ワンルームマンションが多かったのですが、現在は終電も早くなったので、どうなっているのでしょうか。

そして、玉出駅の東手の小高い丘陵地は、高級住宅地として知られる「手塚山地区」です。

玉出駅近くの26号線沿いに、ソースをつけないたこ焼きで有名な「会津屋」さんがあります。面白いのは、その会津屋さんの向こうを張って、26号線をはさんで「まあまあうまい」と書いた「たこ焼き屋さん」ができているのが「大阪」らしいなぁと思います。両方とも頑張っています。

玉出交差点で26号線と別れます

西に右折して南港通りを進みますが、玉出交差点を東に左折すると、高級住宅街といわれる帝塚山地区です。

地下鉄(大阪メトロ)の四つ橋線の電車は急カーブを切れませんので、少し南側で大まわりして「南港通り」の下を走り、その後、北加賀屋駅で大きく左折して「新なにわ筋」を南下します。

地下の電車も適当にカーブしながら、道にあわせて走ります。

北加賀屋駅から地上を10分ほど歩くと、その右手遠方に、白い塀に囲まれた住之江の競艇場が見えてきます。

その白い塀が途切れたところが地下鉄四つ橋線の終点の住之江公園駅です。

住之江は競艇の代名詞

住之江競艇場

住之江競艇場は住之江公園の北西に面しており、住之江公園駅で2025年の万博が開催される夢洲がある大阪南港方面へは、小さな自動運転の電車「ニュートラム」が出ています。

そのニュートラム駅からは、競艇場のプール全体やレースの様子も見えます。

住之江公園駅北東側には、立派な住之江神社や住之江公園があります。しかし、競艇場でこれらが霞んでしまって、今では「住之江」というと、競艇場の代名詞になっている感じです。

住之江公園駅は、大阪メトロ四つ橋線の終着駅で、大阪府庁舎が移転した南港方面に行くニュートラムへの乗換駅ですが、南港夢洲で万国博覧会が開催されると、今のニュートラルでは搬送能力が低いので、何かの対策が打ち出されるので、住之江公園周辺も変化があるかもしれません。

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西梅田駅から歩いて2時間45分で住之江公園駅に着きました。交通量の多い舗装道路を歩くのはかなり疲れますが、みなさんも、運動として街歩きを楽しんでみられると、結構楽しいですよ。

長い文章にお付き合いいただき、ありがとうございました。


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