なぜ1年の始まりは立春や春分の日でないの?

お正月には・・・・・

豊中春日神社

子供の頃には、12/25のクリスマスにプレゼントをもらい、お正月にはお年玉を貰って・・・と、年末年始はいい季節だったのですが、大人になってからは、子供の頃にような楽しみがなくなった感じがします。

そうはいっても年のはじめは大切なのですが、なぜ1月1日が立春や春分の日などの天体の運行と関係ないのかが気になったので、難しいことはさておいて少し調べてみました。

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立春と春分の日

立春

まず立春について見てみます。

立春は、旧暦の1月1日を含む二十四節気の「期間」で、冬至と春分の中間で、2月4日から2月5日頃にあたります。

国立天文台が太陽黄経315度の時を「立春」と決めるために、日にちがずれることがあるようです。

したがって、立春は、旧暦の1月1日という言い方は正しくないということですが、旧暦(日本では太陰太陽暦)で立春と次の「雨水」【いずれも24節気】を含む月を「正月」としているということになります。

つまり、元日は「立春の頃」として、江戸時代の天文台に勤務する「天文方」という人たちが決めていたということになります。

旧暦(太陰太陽暦)の時代は日本で独自に元旦を決めていたということです。

春分の日

次に「春分の日」です。

太陽が春分点を通過する日を「春分日」とするのです。

太陽の観測で春分点を決めるので、前年の2月1日に翌年の春分の日が決まる(国立天文台が決める)ことになっています。

春分点は、太陽が赤道を南から北に横切るタイミングです。太陽、月、惑星などの影響で、それらの軌道は波打っていて、単純に計算することが難しい「ずれ」が生じる可能性があるので、このように、観測に基づいて前年に決めるということになっているようです。

これだけコンピュータが発達しても、3つ以上が関係する天体の軌道は計算できない・・・ということを聞いたことがあるのですが、天体の不思議だとびっくりするとともに、観測してそれを決めている国立天文台もすごいと感心してしまいます。

こうしてみると、立春や春分の日は、太陽の動きが基になっているので、今の太陽暦からすれば、春分の日を1年の始まりとするのが理にかなった感じがします。

しかし昔は太陰太陽暦だったので、輪郭や表面が見やすい「お月さま」のほうが観測しやすいので、そのときには、春分の日が元旦になる可能性は低かったにしても、新暦になってそれらとは関係ない日が1年の始まりになったのはどういう理由だったのでしょうか。

1月1日と、だれが決めた?

1年が365日だというのは、誰にでもわかりやすいです。(もちろん、厳密に言うと、いろいろ難しい問題があるようですが、ここではイメージで考えてください)

365回昼夜が繰り返すと、もとの位置に太陽の位置が来る・・・という、天体観測の結果からなので、このことは特に問題はないでしょう。

そして、1ヶ月が30日ぐらいなのも、お月さまの満ち欠けでもとに戻るという周期を「太陰暦」で決めたので、それもわかります。

これらは、「回」という昼夜の繰り返しで決めたことがわかリますが、これからが問題です。

1日が24時間で、1時間は60分で、1分は60秒・・・というのは、分割に便利だからということを聞いた気がします。

確かに、半分、四分の一・・・と言うのは、非常にうまく考えられています。

このように、時間と上の「回」の関係(1年やひと月)は使いやすい便利なものとして成り立っているのはわかるような気がします。

ただ、どうしてもわかりにくいのは、これらの天体と関係ない正月1日です。

 

あまり、書籍などには詳しく書かれていません。調べてみました。

理科年表 (毎年発行されている理科年表)

理科年表は毎年新しいものが発刊されます。

その最初の「暦部」の冒頭に、「1月1日世界時0hのユリウス時(JD)は2458119.5である。ユリウス時より2400000.5日を引いたものをMJDという。」と書いてあります。

この「世界時」は、地球の自転を基準にした平均太陽時で、イギリスのグリニッジを通る経度を0度として、使いやすいように、グリニッジと各国の時差をとって時間を定めているものです。

そしてこのMJDというのは、ユリウス通日(つうじつ)といい、「修正ユリウス日」とも言われるもので、桁数が多いと、コンピュータの計算が大変なので、桁数を少なくして計算しやすいように、西暦1858年11月17日0時を0日とした数字・・・だということのようです。

JDに0.5という端数があるのは、夜中の0時は太陽が見えないので、正午にしているということのようです。(夜中の0時を「小子(しょうし)」といいます)

つまり、これによると、この平成30年は西暦-4712年1月1日からの数字ということのようです。

このマイナスは紀元前(Before Christ)で、BCと記されます。紀元後はADと記されるのですが、それはanno Domini のことで、この「紀元」は西暦紀元=キリスト紀元のことです。

そのキリスト紀元も、かなりいい加減なところがあって、キリストのIncarnation(神が人間の形になる)の時を「紀元」としたのですが、「紀元1年の前年は紀元前1年」で0年がないので、21世紀は2001年から2100年になっている・・・など、世界時と紀元前45年から使われたユリウス暦との内容などにも面白い話題も多いのですが、ともかく、世界時というものを基準として「1月1日」が決まったので、太陽の春分点通過とは全く関係ないということになります。


日本では、「世界時」が基準になって「暦(こよみ)」が作られていますが、明治6年(1873年)に西洋の暦に合わせるために、「旧暦の天保暦からグレゴリオ暦に」改められました。

この、天保暦からグレゴリオ暦になったときには、「太陰暦を廃して太陽暦にし、明治5年12月3日を明治6年1月1日にする」と告示されたようですが、これも大変なことで、1ヶ月近く日にちが飛んでしまっているので、かなり思い切ったことだったと思います。

さらに、これによって、季節感を感じる二十四節気と新暦の季節感が狂ったまま、今日でも毎年、変な気持ちで季節感のズレを感じながら過ごしています。話題が多いのはある意味ではいいのかも知れまでんが、太陽とともに生きているのが自然だと思うのですが、キリスト教の力というものが大きいことに驚きます。

 

このグレゴリオ暦はユリウス暦を改良して1582年から使用されている太陽暦で、やはり、キリスト教の考え方が基になっていて、世界各国で用いられているという暦です。

しかし、理科年表には「ユリウス日」ということが書いてあるので、どうも何か変なカンジがするのですが、基本はユリウス暦だし、国立天文台が日本の暦を決めているので、ユリウス暦であってもグレゴリオ暦であっても、どうでもいいということのようですね。

しかし、実際には両者は違います。修正ユリウス日の0日はユリウス暦では1858年11月5日ですが、グレゴリオ暦では、1858年11月17日です。何のことだかよくわからないのですが、気になる方は、国立天文台のHPでも紹介されています。

しかしともかく、今後は、国立天文台では、ユリウス暦に基づく暦を基準に発表しますし、世界は一意の「世界時」で春分点を決めて1年を決めていくので、ユリウス暦とグレゴリオ暦が違っていても、どうでもいいということでしょう。

 

キリスト教では、復活祭(イースター:キリストが死んで3日目に生き返ったことのお祝い)の日にちを決めるのを「春分点の3月21日(頃)を基準にして、逆算して1月1日が決まる」といいます。このことから、1月1日が決まっているといいます。

しかし、これも、うるう年が2月に入るので、1月1日を決めるのは大変なことでしょう。

春節祭

要するに、キリスト教での決め事で最初の1月1日が決まったというだけのもので、多くの国でもそれに従っていますが、現在では、世界的に、平均太陽時(世界時)が基本になるので、1月1日は世界共通と考えていいことになります。

・・・と言っても、アメリカではクリスマス12/25がお祝いのメインで、1/1も「新年ウイーク」というような感じで、特に1/1の新年を祝う風習が少ないと聞きますし、中国や韓国ではむしろ「旧正月」を盛大にお祝いしているようですね。

他の国のことは、知識として知っておいてもいいのですが、マスコミでは大げさにすることも多いのですが、考えてみれば、日本人ですので、これらのことはどうでもいいことと言ってもいいのです。

 

特に日本人は、外国に流されるのはなんとも思わない人種なのでしょうか。

『旧正月』については、私の家のカレンダーには、2/16に、小さく「旧正月」と書かれているだけです。

実は、私自身も小さい頃には小正月の1/15と旧正月を間違えていたくらいですから、日本人は、いい加減な国民性なので簡単に外国文化を受け入れてしまう気質なのでしょうか。

 

【私の結論】
そこで、「なぜ太陽の運行を基準にした『立春』や『秋分の日』が1月1日にならなかったか?」という答えは、「太陽の力よりも『キリスト教』の力が強かったから・・・」ということのようです。

 

復活祭の日はバラバラ

ちなみに、復活祭はイースターのことですが、「春分の日のあとの最初の満月の次の日曜日」と決められます。

もともと「満月」とあるので太陰暦の要素も入っている感じですね。

教会の宗派(一般的には西方教会と東方教会)によっても日にちが異なっている・・・と言います。これも、実に変な「移動する祝日」のようです。

2020年は4/12(西方)か4/19(東方)、2021年は4/4か5/2、2022年は4/17か4/24・・・と、年によっても教会(宗派)によっても変わるという、変な祝日のようで、何がなんだかわからなくなるのですが、キリスト教信者であれば、こういう説明ではなく、「私の会派のほうが正しい」と言いながら、もっと明確に説明するのでしょうね。

 

ただ、わかりにくいのは、ユリウス暦は1年を365日として4年毎にうるう年を置くことで、平均年を365.25日としていたのですが、そのズレが大きくなったのでグレゴリオ暦として修正したというのです。

つまり、実際の太陽年365.2425……との累積ズレの問題があるので、今後、当然、公転周期も変わってくると、暦を管理するのは大変だろうなぁという気持ちと、いつ誰がそれを修正して決めるのか気になるところです。

今の趨勢では、グリニッジ天文台を基準にするのは変わらないとしても、キリスト教の誰かがチャチャ入れしそうなニオイもしますし・・・。

 

1日は24時間だが・・・

地球は1日24時間で1回転している・・・ということですが、太陽の周りを公転するので、実際には、1周と少し回らないといけないことになります。

さらにそれは、ただ単に1年の1/365.242…と言うものではなく、自転軸が約23度傾いて公転しているし、太陽・地球・月・その他の星の影響もあって、微妙に変動しています。

国立天文台の説明では「遠くの星に対する地球の自転を考えた場合、地球は約23時間56分で1回転します」と説明していますし、その自転自体も、長期的には遅くなったり早くなったりしているといいます。

それらを含めて1日・1年が決められているのです。

わかりにくい話ですが、うるう秒というのも茶飯事になってきましたし、長さについても、とてつもない速度の「光速」を基準に決められています。

少し前までは光の速さは「1秒間に地球を7回り半」と言っていたのが、メートル原器よりも精密に決められるようになっているのですから、きっと、何かの修正がされて、今後もすごい精度で暦は管理されて行くのでしょう。(それでも狂うので「観測」で修正するというのもすごいことですが・・・)

考えてみれば、1年の季節と月日が一定であれば、紀元前数千年前の1月1日と現在の1月1日が違っていても、問題はないことで、1年が400日になっても、季節に沿って田植えをするなど、それなりに歳時記は作られていくのですし、それによって、吉兆を占う商売がすたるということもないでしょう。

一年の始まりが春分の日でないことを考えるだけで、とんだ方向に話が進みましたが、この辺で・・・。

 


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