なぜ1年の始まりは立春や春分の日でないの?

新しい年になれば、「新年あけましておめでとう・・・」と言う挨拶をしますし、カレンダーが新しい年のものに変わります。

新年とは、暦による新しい年の始めのことで、広辞苑には、「新年とは、あたらしい年。改まった年。年の始め。」とあります。

新年は1月1日・・・は、日本の暦で決まる

日本では太陽暦(グレゴリオ暦)を採用しているので、1月1日から新年が始まりますが、各国や各所では、グレゴリオ暦とは違う暦(こよみ)が使われていたり、その他の暦を併用しているところもたくさんあるので、1月1日が年のはじめではない国や地域もあります。

つまり、新しい年の始めは、そこで使われている「暦」によって異なる ・・・ ということになります。

豊中春日神社

1月1日は、イエス・キリストの生誕日?

ウィキペディアの「新年」の項目を見ると、日本の1・3・4・9・10・11・12月に、各国の「新年」が分かれている・・・ということが紹介されています。

年のはじめは一つの区切りで、大切なときなのですが、なぜ「春分の日」や「冬至」などの太陽の運行に合わせた日でないのか・・・ということも気になっていましたので、調べてみました。

この、1月1日に「新年」が始まるのは、もともとは、イエス・キリストの生誕であり、同時に、「西暦」の紀元が始まっている・・・と言うらしいのですが、どうも、キリストの誕生日さえもあいまいなようですし、さらに、キリスト教では、キリスト誕生日よりも、クリスマスや復活祭のほうが重要行事になっている・・・というのですから、これもなぜかスッキリしません。

それらを確認しながら、新年について調べてみました。(もちろん、キリスト教の歴史的内容も、教派によって異なっている状態なので、断言できるものとはいえませんが)

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【結論的にいえば、・・・】 現在は、イギリスのグリニッジ標準時によるグレゴリオ暦にそって、世界的な1月1日が決められているので、キリスト関連の内容とは切り離して考えたほうが良さそうだ・・・ということです。

東経135度でグリニッジ標準時と9時間差

日本の場合で言えば、経度135度において、グリニッジ標準時より、9時間早い時刻(GMT+09:00)で日本標準時(JST)が管理されていて、それで暦が作られます。

これは主に、国立天文台が「日本の暦」を作成して、暦に関係する日を決めています。

同時に、旧暦(現在の暦になる前に使われていた太陰太陽暦による暦)で使われていた、太陽の運行に合わせた「季節」を割り振った「二十四節気」などについても定めていますので、この主従関係で言えば、暦が決まって、そこから、春分などの割り振りが決まる・・・ということになります。

つまり、いずれにしても、私の疑問であった、太陽の運行の区切りの春分点などが1月1日になることはなさそうだ・・・と言うことになります。

現在の「暦」自体は、もともとは、キリスト教が中心となっている、西洋的なものです。 そしてそこに、立春や春分などの、中国の旧暦を、日本が独自に取り入れたものですので、中国の旧暦が上位に来ることはない・・・つまり、いくら太陽の春分点が春の訪れと言っても、それが基本になることはない・・・ということです。

旧正月」は中国の「春節」

日本では1月1日が暦年(れきねん)の新年(元旦)・・・ですが、明治以前には旧暦(太陰太陽暦の天保暦)が使われていましたので、1月1日の巡りは、現在とは異なります。

この旧暦(太陰太陽暦)は、中国から入ってきたものなので、日本の旧暦の1月1日(旧正月)は基本的には、中国の「春節」に合わせていましたし、現在の旧暦に関する内容も、中国に合わしています。

現在のChina(中国)も、グレゴリオ暦に沿った新暦が使われていますが、旧暦も残っていて、旧暦の春節(しゅんせつ:Chinaの旧正月)は 2023年は1月22日、2024年は2月10日、2025年は1月29日、2026年は2月17日・・・が「春節=旧正月(旧暦の1月1日)」としています。

もちろん、中国の暦も、太陽や月の運行を観測して暦が作られていますし、日本では、国立天文台が中心となって日本の暦が作られているのですが、中国と日本標準時とは、時差もあるので、場合によっては、中国の春節と日本の旧正月が1日ずれる場合もでてきます。

たとえば、2027年、2028年にそのズレが予想されています。 日本では、そんなに問題がないのですが、中国では、どうするのでしょう。数年後ですが、見ものです。

日本の暦は「暦要項」で示される

日本の旧暦の 1月朔日(1日)については、前年の2月に国立天文台が「暦要項」に、月の朔望などの関連項目を含めて、1年の暦を掲載して公表されます。 それに基づいて、民間会社などで、翌年のカレンダーが作られる・・・という手順です。

また、この暦要項には「二十四節気」などについても示されています。

あとにも書いていますが、しばしば、二十四節気の気候表現が、実際の季節感と異なる・・・という声もありますが、これはそもそも、中国の気候と日本の気候が違うことや、日本国内の地域差もあって、すべてに合致することを表現しているのではなく、季節とともに、季節が移り変わっていく様を感じる言葉表現をしているもので、暦要項では、二十四節気に当たる日を、単に、太陽経度を等分して、正確な日時を示しているに過ぎない・・・と考えるのがいいでしょう。

2月始めの「立春」で春になるのではないし、5月始めの「立夏」で夏になるのではありません。

ただ、旧暦は管理するのが大変

日本の旧暦とは、月の運動をメインにして、太陽の1年のズレを修正する「太陰太陽暦」のことです。

月の満ち欠けによる1ヶ月は、平均して29.5日で、それを大の月(30日)と小の月(29日)に割り振ると、1年は(29.5x12 で)354日になってしまうので、太陽の1年とずれないようにするために、「閏月(うるうつき)」を入れて1年の調節をします。

閏月のない年は354日前後ですが、閏月のある年は13ヶ月になって、その年の1年は、384日か385日になる・・・というややこしさがあります。

このことで、旧暦の1月1日は、グレゴリオ暦日とはちがって、毎年大きく異なってくる・・・ということが起こります。(グレゴリオ暦の太陽の運行とのズレは、2月に閏月として29日を入れることで調整しますし、誤差の少ない暦ということもあって、世界の多くな国や地域で採用されています)

間違えないように繰り返しますが、「新暦になって二十四節気との季節感がずれている・・・」という方がいますが、その言い方は「間違い」で、新暦でなくても、旧暦時代でも、ずれていて、仕方がなかった・・・ということです。

二十四節気は太陽の黄道を春夏秋冬の4つの季節に分けて、さらにそれを6つに分けて季節を表す言葉をつけたもので、旧暦(太陰太陽暦)においても、太陽暦部分に対応するものですから、陰暦(月の運行を元にした暦)の月日とは関係ありませんし、その立春などの言葉も、中国でつけられたものなので、実際の季節のズレがあっても、ただ当てはめただけなので、季節感がずれていると、それで、二十四節気や暦が問題あり・・・とするのは論外です。(→こちらに二十四節気などの記事

いろいろな暦があるのも文化的?

中国や韓国でも「太陰太陽暦」が生きていて、その年の正月(暦の年初の日)にあたる「春節」が年の始めで、日本で言う「旧正月」から新しい年が始まっていました。

イランでは「春分の日」が新年の始まりですし、グレゴリオ暦のキリスト教の国であっても、ユリウス暦を用いる東方教会の教会暦では、9月1日から新年になる・・・などのように、使う暦によって、年の始まりは様々であることにも、さらに驚かされます。

このように、各所の毎年のスタートが、暦によって変わっているのは不都合なようですが、それぞれの暦が一元的に修正管理されておれば、生活上に不便や不都合は起こらないので、わざわざ、グレゴリオ暦に統一する必要もないということでしょう。(・・・がグローバル化した現在では、共通化したほうがお互いがわかりやすいのは確かですから、グレゴリオ暦を基準にされる方向に向いています)

ただ毎年、中国などの春節に関するニュースが報じられるときに、「今年の春節は*日から・・・」というように報じられるのは、それがグレゴリオ暦(新暦)と異なる暦の行事なので、毎年変動する可能性がある・・・ということなのです。

もちろん、中国の太陰太陽暦でもグレゴリオ暦であっても、天体を観測して修正することは避けられませんので、いずれにしても、暦に携わっている人は大変なことでしょう。

春節祭中華街の春節のお祝い

中国の春節や、米国(USA)などのクリスマスは、ニュースでも紹介されるように、日本の正月とは比べものにならないほど、盛大なお祝い風景が見られます。 逆に、新年の1月1日は、お添え物のようになっているようですが、それはそれで、現在の暦よりも、昔からの習慣が大切にされることが間違だと、部外者が言うのも変なことです。

ただ、日本には、二十四節気や雑節(節分や彼岸など)などの、季節を表す言い方があるので、むしろこれらを「日本の文化」として、大切にしていくことが重要だと思います。

近年、TVなどで、ストロベリームーンなどの、外国の風習を得意げに紹介するマスコミも多いのですが、日本の季節感の基本である、二十四節気や雑節についての正しい紹介を徹底してほしいものです。

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以下は、暦に関係する話題を紹介していきます。

西暦とイエスキリストと1月1日の関係

西暦はキリストの誕生年から起算されているものですが、一般的には、1月1日がキリストの生まれた日ということになっているようです。

つまり、盛大にお祝いされているクリスマスは、キリストが生まれた日ではなくて、正式には「キリスト誕生をお祝いする日」という日で、「降誕を記念する祭日」とされています。

しかし、キリストの誕生日自体も曖昧ですし、キリスト教では、キリストの誕生日よりも「復活日」を重視するので、復活祭の日が重要だ・・・というのですから、どうも「西暦」とキリストとの関係もややこしくて曖昧です。

さらに、このキリストが復活した日にちも、古い太陰暦の時代に「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」と決められたようです。

さらに、この復活祭の日にちについても、キリスト教全体で統一されていない・・・という曖昧なものだらけなので、結局のところは、キリストと現在の暦を合わせて考えないほうが良さそう・・・と言えます。(キリスト教派による力関係もあって、何が正確なのか、よくわかりません)

現在の1月1日はグレゴリオ暦が決めている

結局のところ、「キリストの生まれた日は明確でない」こともあって、ここでは、キリストとの関係は無視して、「現在のグレゴリオ暦によって1月1日が決定されている」・・・ということにして話を進めます。

「暦」は、都度の天体の運動を観測して作られるもので、過去からの年月を、連続的に記録しているものではないのですが、少なくとも、グレゴリオ暦を採用しているところは、今年の1月1日はどこの国でも同じです。

国立天文台編集の「理科年表」2022版第95冊 の最初には、

令和4年 西暦2022年 (平年)  令和4年は、年の干支は壬寅(みずのえとら)である。1月1日の干支は甲寅(きのえとら)、1月1日世界時のユリウス日は2459580.5である。ユリウス時より2400000.5日を引いたものをMJDという。・・・

と示されています。(理科年表は、毎年、新しい版が出版されています)

この「ユリウス日」は天文学で使われるもので、「西暦-4713年」の1月1日からの日数を示すもので、ユリウス暦 という暦もあってややこしいのですが、天文学で暦が作られているというのです。

この「世界時」は、地球の自転を基準にした平均太陽時で、イギリスのグリニッジを通る経度を0度として、各国は、グリニッジと各国の時差をとって時間を定めていて、日本は日本標準時JSTで世界時より9時間進んだ時刻が「日本時間」になっています。

そしてこの、日本時間(JDと表記します)をコンピュータなどで使うために、桁数を少なくして計算しやすいように、西暦1858年11月17日0時を0日とした数字をMJD(修正ユリウス日)としています。

JDに0.5という端数がありますが、これは、夜中の0時には太陽が見えないので、正午(見えやすい真昼)に変えているということで、昼間の「正午」に対して、夜中の0時は「小子(しょうし)」といいます。

つまり、これらによると、この理科年表にある「今年」は、6700年も前にさかのぼって、それからずっと管理されている値だということになります。

こうなるとまったく、キリストとは何の関係もないと言えます。

このユリウス日の数字は、紀元前(Before Christ=BC)に遡って管理されているもので、「紀元」というのは、西暦紀元(すなわちキリスト紀元のこと)のことです。

もちろん、そのキリスト紀元も、かなり曖昧ですし、さらに、キリストのIncarnation(神が人間の形になる)の時を「紀元」としている・・・という記述があることからも、少なくとも、日本の暦は、キリストとは切り離して考えるほうが「確からしい」ものになるといえます。

ともかく、グレゴリオ暦などで決められた「世界時というもので、世界中の、今年の1月1日が決まる」と言うことになります。

日本の暦は毎年、官報で告示されます

国立天文台が主体となって「暦要項」をまとめて、前年の2月に官報で告示されたものが日本の暦の基本です。

そこには、祝日、日曜、二十四節気、雑節、などの日時や天体の情報が掲載されており、これをもとに、いろいろな「運勢ごよみ」が毎年刊行されています。

令和4年の暦関連

理科年表や民間の暦類は、晩秋頃から書店の店頭に並びます。

国立天文台などが作成した翌年の暦を、2月に官報で公示されますので、それに合わせて内容を調整して、翌年に間に合うように刊行物が発刊されますので、早めに購入するといいでしょう。

→ 最新の理科年表を探す(楽天のページへ)

→ 最新の運勢暦を楽天のページで探す(楽天のページへ)

日本では、このような「運勢ごよみ」は、旧暦と関係深い項目が掲載されていて、人気書籍となっていますが、ここには、吉凶などとともに、旧暦との対応が示されており、生活に関係する情報が書かれていて、私も、読むと面白いので、毎年購入しています。

*月*日は旧暦の*月*日・・・という言い方がされて、現在でも「旧暦」が生きていて、古くからの習慣や生活に密着しているので、これらの暦類を迷信や「まやかし」と突き放すのではなく、古くからの日本文化として読んでみると、結構面白いものです。

ここで、暦に関する語句や日本の暦について補足します。

正月 とは・・・

正月は1月のことで、これも上の「新年」と同様に、使用されている暦の年初の月が正月(=1月)です。

日本の「正月」は本来、旧暦の1月のことですが、現在では、現在の暦の1月が正月とされています。

元旦 とは・・・

「旦」という字は、水平線から太陽(日)が出る様子を表している・・・と、しばしば説明されているように、元旦は「1月1日の朝」すなわち「新年を迎える朝」ということです。

 

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日本は明治5年に、現在の暦に移行

明治時代に、現在のグレゴリオ暦に沿った新暦に変わったのですが、それまでは、月の満ち欠けを基準にして、1年を太陽の運行で修正する「太陰太陽暦」が使われてきました。

現在はこれを「旧暦(通常はそれまで使われていた天保暦を指します)」と呼んでいますが、季節の移り変わりは、月の満ち欠けではなくて、太陽の位置で決められるために、それを、月の運行を元にすれば、1年が約11日短くなり、それを太陽の父に合わせる修正をするためには、3年に一度の「うるう月(1年が13ヶ月の年になる)」を入れて修正するという方法になるので、年によっては、旧暦では、季節が1ヶ月近くも飛んでしまうことがある・・・という不都合さがありました。

その点では、あたらしい暦は、季節を司る太陽を基準にした 太陽暦 なので、「旧暦ほどに月日と季節が大きく狂うことがない」と言えます。

二十四節気と季節感

現在は太陽暦ですので、二十四節気(大寒、春分など)や雑節(土用や彼岸など)は、太陽黄経(太陽が通る天球上の通路=黄道)で決めていることから、旧暦のように、年ごとの日にちが大きくずれることがありません。(ずれたとしても、年ごとの変動は最大1日程度です)

二十四節気は、季節を4つに分けて、視黄経(春分点を0度として公転面に投影した経度)で1年を24等分して(360度÷24=15度で季節を分ける)、そのそれぞれに、中国で使われていた季節を表す言葉(立春や夏至などの24個)を当てはめたものです。

この「立春」などの用語については、中国の季節感なので、日本には、梅雨などの、中国とは違う気象があるので、それもあって、季節感が少し異って「違和感がある」と言われることもありますが、これは24に割り振っただけですので、当然、旧暦であっても季節とのずれがあったのは当然考えられることです。

太陰太陽暦の日付で季節感を表したものを、太陽暦で使用しているのですから、多少の違いがあるのが普通です。

だから、この季節感を表す言葉は、「目安」として捉えればいいものなので、(何度も書いていますが)「季節の移り変わり」を感じる言葉・・・としておく程度でいいでしょう。

「言葉と実際が全く違う」「季節があっていない・・・」といっても、昔々からずっと、二十四節気の季節感で暮らして来た・・・ということですし、違いもまた「話題」だとして受け流せば、結構うまく季節が割り当てられていると思えるのですが・・・どうでしょうか。

だから、ニュースなどで、例えば、8月7日頃に「今日は『立秋』です。暦の上では秋ですが、日中は、真夏日となり・・・」というように報じられています。

これは「言葉のアヤ」で、「立秋だから秋になる」ということではありません。(→こちらに二十四節気などの関連記事を書いています)

グレゴリオ暦について

グレゴリオ暦は現在では最も多くの国が使っている暦(こよみ)で、ウィキペディアには、「それまで使っていたユリウス暦を改良したもので、1年を365日として、400年間に97回の閏年(うるうどし)を置くことで格段に精度が向上した」とあります。

現在の実太陽年は約365.242・・・日で、ユリウス暦は1年を365.25日としていますから、当然ずれていくのですが、暦は実際の観測して決まるもので、当然、変わっていくものですので、作る方は大変ですが、使う方はそんなに気にする必要はありません。

わたしの閏年の覚え方は、「ほぼ4年に1回の2月29日があって、100で割り切れるときは閏年でない」と覚えているのですが、もっと詳しく知りたい方は、ウィキペディアのグレゴリー暦の記事を御覧いただくといいでしょう。

近年は、計測技術の向上で、太陽などの天体の運行観測で暦の正確度が上がり、コンピュータなどに関係する「時間の大切さ」などもあって、秒単位の修正(うるう秒)が行われているほどの精度です。

しかし、歴史的に見ると、1年の精度はグレゴリオ暦のほうがいいといっても、もともとは、ユリウス暦を使ってキリスト教の行事日を決めていたもので、それが、新しい暦に変われば、キリスト教行事の日時も変わってしまって、当然、混乱や問題が生じているでしょう。

さらに、この、ユリウス暦が、今でも使われているところがあるようですから、例えば、「復活祭」などの重大宗教日さえも、使う暦で変わってしまうのですが、これは、宗教に疎い日本人が考えられないほどの大問題のようです。

新暦になって、日本の変わりようもスゴかったはずですが

日本では、明治5年12月2日(旧暦)が「グレゴリオ暦の1872年12月31日」で、その翌日の、旧暦の12月3日は、「グレゴリオ暦1873年で、新暦の『明治6年1月1日』」となった・・・とあります。

日本では、これが、簡単に受け入れられたようなのですが、ウィキペディアによれば、「もしも旧暦を継続すれば、閏月があって、政府は、月給制に移行したばかりの給料支払が増える」ということを嫌って、早急に新暦に移行すれば、1ヶ月分の給料を節約できて、財政難を乗り切れる」と言う理由もあった・・・とあります。

何よりも、それをうまく進めた政府もすごいですし、国民も大変素直で先見の明があった・・・と感心させられます。

立春と春分の日と正月と・・・

さて、ここまでは、お正月(新年)は「暦」で決まってくるもので、春分や夏至という、太陽の運行とは関係ない・・・ということでしたので、季節的にキリが良い「立春が元旦になることはない」のですが、ここで簡単に、太陽的な日である「立春や春分の日」などについて見てみましょう。

立春

立春は、旧暦の1月1日を含む二十四節気の「期間」で、冬至と春分の中間で、2月4日から2月5日頃にあたります。

観測によって等分した「点(春分点)」を国立天文台が決めているのですが、理科年表を見ると、二十四節気の全部と雑節の一部には、*日*時*分までが示されています。

旧暦が使われていた頃は、立春から1年が始まると考えられていましたし、「雑節」の土用、彼岸、二百十日・・・なども、立春が基準にしているので、「この立春がいつなのか・・・」を決めるのは大切なことですが、現在は、国立天文台で、太陽黄経315度の時を「立春」と決めています。

2月の初めのこの頃は例年は寒い時期ですが、「寒さも峠を越え、春の気配が感じられる」と言う文章で「立春」が紹介されています。

また、旧暦の正月(1月1日)は、「二十四節気の『雨水』の直前の「朔日(新月=月齢ゼロ)」ということで、この1月1日は、閏月のあるなしによって、現在の暦の1月末頃~2月末頃までを移動する可能性があります。(ちなみに、2023年は1月22日が旧正月、2月4日が立春で、2024年は2月10日が旧正月、2月4日が立春となっています)

旧暦(日本では普通は、太陰太陽暦の天保暦をいう)では、二十四節気の「立春」と次の「雨水」を含む月を「正月」としているので、つまり、元日は「立春の頃」として、旧暦上で、江戸時代の天文台に勤務する「天文方」という人たちが決めていたようです。

旧暦(太陰太陽暦)の時代は、日本で独自に元旦を決めていたということになるのですが、これもすごいことですね。

春分の日

「春分の日」は、太陽が春分点を通過する日を「春分日」とされています。

これについても、太陽の観測で春分点を決めるので、前年の2月1日に翌年の春分の日が決まる(国立天文台が決める)ことになっています。

春分点は、太陽の軌道(黄道)が天の赤道を南から北に横切るタイミングです。

太陽、月、惑星などの影響で、それらの軌道は波打っているために、単純に計算することが難しいことから、計算だけでは「ずれ」が生じる可能性がある・・・という理由なので、このように、観測に基づいて前年に春分の日(と合わせて秋分の日)を決める・・・ということになっています。

これだけコンピュータが発達しても、3つ以上が関係する天体の軌道は計算が難しい(これを「三体問題」というようです)・・・ということを聞いたことがあるのですが、天体の不思議だとびっくりするとともに、観測してそれを決めている国立天文台も「すごい」と感心してしまいます。

話は逸れますが、何十年も先の日食の日時が公表されています。 それが、「絶対か?」というとそうではないようで、暦もそうですが、絶えず観測されていますので、常に観測に基づく修正が行われて、実際に日食が起こるときには、「1分以下の精度」で計算されている・・・というすごいことが行われています。

このように、立春や春分の日は、太陽の動きが基になっているので、今の太陽暦からすれば、春分の日を1年の始まりとするのが理にかなった感じが残るのですが、やはりキリスト教の影響が強いグレゴリー暦が基本で「1月1日」を決めている・・・ということはよほどの強力な宗教がでてこない限りは変わることがないのでしょう。

 

キリスト教では、復活祭(イースター:キリストが死んで3日目に生き返ったことのお祝い)の日にちを決めるのを「春分点の3月21日(頃)を基準にしていて、そこから逆算して、1月1日が決まる」といいます。このことから、1月1日が決まっているといいます。

この「復活祭」の日は「春分の日のあとの最初の満月の次の日曜日」と決められます。もともと「満月」とあるので太陰暦の要素も入っている感じですが、お祝いしやすいように「日曜日」としているのは面白いところですね。

さらに、教会の宗派(一般的には西方教会と東方教会)によっても日にちが異なっている・・・と言いうのも、実に変な「移動する祝日」ですので、これも「文化」でしょう。

 

以上です。 長い文章でしたが、「なぜ太陽の運行を基準にした『立春』や『秋分の日』が1月1日にならなかったか?」という私なりの答えは、どうも、「太陽の力よりも『キリスト教』の力のほうが強かったから・・・」という感じがします。

私自身も、いろいろ調べてみてわかったのですが、小さい頃には小正月の1/15と旧正月を間違えていたくらいです。

日本人は、西洋人に弱くて、簡単に外国文化を受け入れてしまう気質と思っていたのですが、意外と合理的人種だと言える感じもしてきました。


(来歴)H30年1月記事作成 R3.12月記述の間違い部分を訂正。 最終R5.9月に見直し